創業からの歴史

トラベルクリニックは
なぜ生まれたのか?

誕生ストーリー

東京 日比谷で開院

1960年、東京日比谷の地に、初代院長・奥田廣男が循環器内科のクリニックとして開院したのが日比谷クリニックの始まりです。終戦から15年が経ち、少しずつ活気が戻ってきた日本。ここ日比谷周辺も、帝国ホテルなどを中心として海外の要人が集まる最先端の街として、日を追うごとに賑やかになっていきました。

この地域の特性で、日比谷クリニックに来院される人々も自然と国際色豊かな海外の方が来院しました。その対応の中で海外に戻られる場合や、日本の方が海外に行く場合に備え、天然痘やコレラなど多くの予防医療対策の必要に迫られていきました。当時はまだ、世界に“トラベルクリニック”いう概念さえない時代です。

一つひとつ渡航先の国の情報や、あらゆる渡航先の問題点を洗い出し、問題解決の糸口を探る日々が続きました。予防接種の種類や、診断書の形式など各国に合わせ、悩みながら事例を積み重ねていった結果、徐々に今ある形に進化していきました。「海外へ安心して渡航したい」と願う人たちとともに創り始め、時間をかけて誕生した安心の医療サービス、それがトラベルクリニックなのです。

1965年に日比谷クリニックが発行した天然痘予防接種の証明書通称イエローカード

1965年に日比谷クリニックが発行した天然痘予防接種の証明書通称イエローカード(ICVT)

日比谷クリニック 取り組みの歴史

CLINIC HISTORY & STORY

時代の流れの中で、人々はいろいろな国々に旅立つ機会が増えていきました。その目的や渡航する国々に呼応するべく、私たち日比谷クリニックも対応力を高めてきました。これからも新たなニーズに応えるために、広い視点で医療の未来を開拓していきます。

1960年から1970年の日比谷クリニックの歴史

1960年~1970年

日比谷クリニックの歴史

1960年
日比谷の地に初代院長 奥田廣男により開院、循環器内科の小さなクリニックとして誕生する。地域の特性もあり海外の要人も多く、国際色豊かな街の中で日比谷クリニックの歴史の第一歩が始まる。 戦後からようやく立ち直り、焼け野原も整備され、街のインフラが少しずつ復興、人々が活気を取り戻す。

1965年
天然痘のワクチンを取り扱い始める。 高度成長期、海外との貿易も盛んになり、日本の産業が息を吹き返し世界に追いつく形で経済が発展する。

1965年
帝国ホテルの患者様も来院。その中には海外の患者さまも多く、その対応の中から、海外と日本の間には医療のたくさんの問題があることを発見する。

1970年~2010年

1980年
渡航に対する輸入のトラベルワクチン、抗マラリア薬などを取り扱い始める。ブリティッシュエアライン(航空会社)の中に、世界初のトラベルクリニックの医療外来を設立する。

2001年
日比谷クリニックの院内でも予防接種、健康診断、各種診断書などのフォーマット化が進み、今のトラベルクリニックのベースとなるサービスが形になる。 1993年 EUが設立され、ヨーロッパへのビジネスチャンスが見込まれ渡航が増える。

2001年
二代目院長 奥田丈二 就任。 アメリカの景気が追い風となり、BRICSに 投資が集まり新しい成長国が出現。新たな渡航先が増える。 また、ASEANの成長も活発化する。

2008年
東宝ツインタワービルに移転、海外赴任を必要とする企業の需要を先取りをして、ワンストップでトラベルクリニックに関わる医療サービスが受けられるように院内環境を整える。

1970年から2010年の日比谷クリニックの歴史
2010年から2015年の日比谷クリニックの歴史

2010年~2015年

2013年
海外健康管理プログラムを開発。海外渡航者が渡航先でさらなる安心と医療サポートを受けられるサービスを開始。 アフリカ、ロシア、東欧、南アメリカなどの国々にも渡航者が足を広げ、次の時代のアンテナを張り始める。

2014年
海外渡航者健診センターを設立。トラベルクリニックという新しいカテゴリーの医療サービスが認知され始める。 世界中で、日本の役割が高まり、必要性が増していく。

2015年
留学・ビザセンターを設立。業務の正確さとスピードアップを両立させるため、各種診断書を効率よく作成できる環境を整える。

2015年~現在

2019年
渡航に対するニーズの高まりに答えるために、よりJR有楽町駅 駅前に近い「電気ビル」に移転。

2020年
コロナウイルスの感染対策として、PCR検査システム、海外渡航者のためのワクチン接種対策環境を迅速に立ち上げる。

2015年から現在の日比谷クリニックの歴史